【夫婦二人三脚で挑む、ペリーラの生みの親として誇りをもちながら】


―つまもの農家―兵庫県加東市

まるよ促成農園

依兼 紫織さん

―はじまりー

 まるよ促成農園を始めたのは義理の父、○○だった。当時は大葉農家として、まだスーパーなどでもメジャーな野菜ではなかった大葉を熱心に育て、幾年も研究し、良くできたものから種取りをし続け、今世の中に出回っている大葉の元祖を作り出したという程の先駆者だった。

そんなまるよ促成農園は30年前、息子であり紫織さんの夫である○○が引き継ぎ、大葉、芽紫蘇、あゆたで、お料理に添えるとても小さな大根などの「つまもの」をメインとする栽培を始めた。中でも生みの親となり、力を入れたのが紫蘇の芽である「ペリーラ」だ。大きな紫蘇に比べまろやかな風味とさわやかな香りが特徴でお料理を上品に際立たせる。

あまりに無名の野菜であり最初こそ販売に苦労したが、オリジナルのラベルをパッケージに張るなど「知ってもらうための努力」を重ね、1日10パックの出荷数は、気付けば1日400パック以上売れるようになった

―てんきー

飲食店を主とするペリーラの需要はどんどん増え、面積を変えず収穫量を増やすため、2反ある土耕栽培のハウスの全てを水耕栽培に切り替える決断をした。「どうすればもっと良くなるだろうか」夫婦で悩み抜いた答えだった。

しかし、水耕栽培の設備を専門とする業者との試行錯誤の元、いざ工事を始めようとした矢先、新型コロナウイルスが世の中を震撼した。「工事期間とコロナの自粛期間が重なるくらいだろう」と最初は思っていた。こんなにも長引いてしまうとは…。そしてコロナ禍における飲食店へのダメージは言うまでもなく、高級料理店をメインとして出荷していたまるよ促成農園へのダメージも大きく、これまでと同じように経営をしていくことが厳しくなってしまった。

「ペリーラの生産量を確保できる設備はある。でも売れない」そこからは大苦戦の連続だった。実は嫁いでから約10年、コロナ禍の2年前まで農家カフェを営んでいた紫織さん。カフェをしながら支えてきたが、より農園に力を入れ、夫が栽培に集中できるようカフェを一旦休業。夫婦二人三脚での挑戦に踏み込んだ。

―かだいー

コロナ禍においてペリーラを売るには、飲食店だけでなく、一般消費者に向けた小売店に卸す必要が出てきた。これまでになかった出会いを得るため7回以上も展示会に足を運び、ペリーラの発信と情報収集に努めた紫織さん。

一方で、小売店においてもらっても一般消費者が普段の食卓としてペリーラを選ぶには認知度の壁がはだかる。ただ棚に並んでいるペリーラを何人がとるか、大きな課題だった。同時に、「ペリーラの自体のことをもっと知ってもらうため、メディアを強化し広報活動に力を入れることも必要だ」と紫織さんは感じている。

―まるよ促成農園×ファントゥー

ファントゥ:小売店への営業を続けると同時に、バイヤーをまるよ促成農園への圃場視察へ誘導する。販売へと繋げる。

まるよ促成農園:販路先の獲得。徐々にペリーラを浸透。

―これからー

形・色・収穫の仕方など細部にこだわり世に送り出してきたペリーラ。

「コロナ前までは市場に卸すと、他でもない、まるよのペリーラを目当てに買いに来てくれた。これからの目標は“ペリーラがあたりまえのように食卓に上がること”

そして加東市発祥のものとして、特産品として、『加東市といえばペリーラがあるじゃないか!』と思ってもらえるように地元と連携し、ペリーラを大事なものとして扱っていきたい。」と紫織さん言う。

また、現在まるよ促成農園では多くの女性がアルバイトとして携わっており、その中には子育て真っ只中のママも多くいる。スタッフは自然に繋がり、集まってきた大事な仲間である。

だからこそ「まるよ促成農園で働くスタッフにとっても今以上に働きやすい環境を作りたい」と紫織さんは意気込む。

ペリーラの生みの親として、チームで取り組む。

まるよ促成農園として提供し続けてきた価値を守りながら。