【基本を大事に、コミュニケーションを第一に、農家として躍進する】


ーいちご農家ー兵庫県西脇市

篠田いちご園

代表 篠田重一さん

―はじまりー

今から20年前、それは54歳の時。当時勤めていた会社を早期退職し、西宮市から実家のある西脇市に帰ってきた。「長男として生まれて実家の跡を継がないといけない」という責任感と「いまが辞め時かな」という仕事の役職定年を控えたタイミングだった。

この時はまだ実家に帰って農業をするなんて、思いもしていなかった。だって、幼い頃に目の当たりにしてきた農業って、しんどくて、あんまり好きじゃなかったから。ただ、これから年金まで何をして生計を立てていこうかと情報収集をする中で【兵庫県のハウスいちご高設栽培の確立】についての新聞記事をたまたま見つけた。

それがまた面白く、計画性もある農業経営だったことから一念発起。早速、県の農業改良普及センターへ相談に行き、奥様の「おもしろいなぁ!」という最後の一押しをもらい、新規就農を決意。初めてのいちご栽培は、当時にして約3000万円の初期投資をしてハウスを設置し、12000株の苗から始まった。

―あゆみー

何をするにしてもある程度の時間は必要で、計画とめどをつけて動いていくことを大事にしてきた。また、行政や地域の人と積極的にコミュニケーションをとり、常に情報が入りやすい状態にすることを心掛けていたため、これまで大きく困ったことはなかったと篠田さんは振り返る。

「農業を経営するにあたって、基本的なことはきっちり続ける。何かあれば基本に戻る、同時に人にききまくる。そして失敗しない方法を考えて選択していくと、ある程度は大丈夫ですよ!」農業を始めて5年、イチゴの栽培技術も上がり、収益性の面で「これはいける!」と確証した。

10年後には株を17000株に増やし、新規雇用で1名採用し、ハウスのメンテナンスまで成し遂げた。そして21年後の今、株数は21000株となり、正社員2名とパート4名で3500㎡のいちご栽培を手掛けている。

―その名は「あまクイーン」―

数種類のいちご栽培を手掛ける篠田さんだが、特筆すべきはやはり「あまクイーン」という品種のいちごだ。見事にいちごらしい可愛いフォルムに、まろやかで甘さが際立つ、とても贅沢ないちごなのだ。

1からのいちご栽培でありながら、県と共同でいちごの新品種改良にも取り組んできた。そうしてできたうちの1つが「あまクイーン」である。ただ、あまクイーンは繊細で、病気にもかかりやすく、安定した栽培をするには相応の技術がいる。一度食べると忘れられないいちごである一方、生産者がなかなか増えないのも現状である。

そうした中で、篠田さんはこれまで相当数の研修生の受け入れもしてきた。さらに、令和3年12月兵庫県農業賞『いちご高設栽培の先駆的導入と後継者育成の功績』を兵庫県知事から授与した。また、兵庫県ハウスいちご研究会の会長(現相談役)を勤めるなどして、若手の育成や栽培技術の向上に向けた取り組みを行っている。

―篠田いちご園×ファントゥー

★取り組み①

ファントゥ:いちごの青果として都内の百貨店や有名小売店、関西圏のスーパーで取り扱いスタート

★取り組み②

ファントゥ:大手通販会社で産直宅配便として篠田いちご園のいちごの取り扱いをスタート

篠田さん:取り組み①と②で、これまで口コミと直売のみの販売だったが、さらに広範囲になり、「あまクイーン」の知名度も上がった。

★取り組み③

ファントゥ:加工用のいちごを買い取り、某コンビニのスイーツ企画にて提案。篠田いちご園のいちごソースを使用したプリンとして発売。

篠田さん:知名度の向上とともに、B級品の解消につながった。

令和5年度においては各取り組みの実績も上がり、株数を4500株増やすことになった。また、篠田さん独自の販路も含め、収益面は右肩上がりで倍以上となっている。

―これからー

「一口にいちごといっても、10年20年では到達できない。毎季考えることは、反あたり7~8t、さらに可能な限り収益率を上げていきたいということ。そうして頑張ることで、若い人たちにとっても中身の濃い姿を見せていけたら。」と篠田さんは言う。

若手農業者がやりがいとつながりをもって農業を続けられるよう、精一杯のサポートを考えながら今日も励む。農家に転身した当初は年金受給までの繋ぎとして考えていたいちご栽培。その時期を過ぎ、75歳になった今、こう思う。

TTK(体力、知力、気力)が続くまでずっとやっていきたいと。